辛酸なめ子の信長&濃姫夫婦をイラストレビュー

イラスト・文/辛酸なめ子
【ネタバレあり】辛酸なめ子が、倦怠期とは無縁な夫婦愛をイラストレビュー。妻に頭の上がらない“魔王”織田信長の、魂の居場所

映画『レジェンド&バタフライ』をより深く楽しむためのWEBマガジン「レジェバタ公記」もついに最終回。壮大な歴史劇ながら、実はくすっと笑える夫婦のシーンも見どころの本作を、漫画家・コラムニストの辛酸なめ子氏がレビューします。魔王にしてヒーローな信長の“孤独”に寄り添った濃姫との関係は、ソウルメイトとも呼べるもの。「後世の人に対しても信長のイメージを上げるとは、濃姫はかなりのあげまん」と語る、辛酸さんならではの視点で、夫婦のラブストーリーを追ってみて!

「わらわも愚かな殿方はきらいでございます!」
新婚初夜、信長に強い口調で言い放った濃姫。綾瀬はるか演じる濃姫のクールな格好よさに、これから一人称「わらわ」ブームが来るかもしれないと予感しました。さらに夫を呼ぶ「おまえさま」という表現も流行りそうです。
親の政略により「うつけ」と呼ばれた変わり者の織田信長のもとに嫁いだ濃姫。当時2人はまだ10代の若さで、初夜で色っぽい雰囲気になるよりも、格闘する方が楽しい年頃だったのかもしれません。
嫁いできたばかりのところ、肩や足を揉めと命じる信長の尊大な態度にキレた濃姫は、ついに信長を投げ飛ばして組み伏せてしまいます。その時の激しい音と叫びが、外で聞き耳を立てている臣下たちに、激しい初夜のプレイだと誤解されたのでした。
上に乗られてお尻を叩かれ「折れる折れる!」「死ぬ~!」と叫ぶ信長。
濃姫は初夜のお手合わせのあと「聞きよった通りのひ弱でがらんどうの嫡男じゃ」と、吐き捨てます。

今まで歴史の本などで読んできた信長の豪胆で暴君なイメージと違い、妻に対しては最初から頭が上がらない信長。外で威張っている社会的地位の高い人ほどMが多いという説がありますが、「魔王」と呼ばれて怖れられた信長も、妻の前では大げさに痛がって叫んだりして被虐的な快感を覚えていたのかもしれません。信長を象徴する「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」という句がありますが、この映画の中では自分から叫んでいました。

ドSキャラはドMにもなれるとか、究極のSは究極のM、という説を聞いたことがあります。「魔王」信長は、馬糞まみれのお菓子を家臣に食べさせた、というのはまだかわいい方で、家臣の家を焼き払って強引に安土桃山城に住まわせたり、憎む相手を道端に埋めて残虐な方法で斬首したり、夥しい人を死に追いやっています。恐ろしい性質を秘めた信長ですが、弱味を晒したことのある濃姫の前では、反対のMキャラになって自分を解放できたのかもしれません。

悪業まみれの信長と対等にやり合える濃姫はタフな女性。映画では、武芸に秀で、弓矢の達人だった姿が描かれています。狩りの最中、鹿を追って崖から転落しそうになった信長を引き上げて助ける姿がワイルドかっこいいです。裏切りや下克上は当たり前の戦国時代。崖っぷちで手を取り合った瞬間、信長は濃姫だけは自分を裏切らないと確信したのかもしれません。海を眺めて異国に行ってみたいと目を輝かせる濃姫の好奇心や前向きさに、信長は魅力や可能性を感じたのでしょう。戦術についても助言を求めるようになります。戦国武将の娘でもある濃姫は的確なアドバイスをして信長に信頼されます。

「兵を鼓舞するのじゃ!奮い立たせるのじゃ!総大将がその言霊で!」などと濃姫がアドバイスすると、すぐに素直に従っていました。しかし「命を捨てて突撃じゃ~!!」という鼓舞の叫びは濃姫にダメ出しされてしまうのでした。映画の序盤、一挙手一投足が「ご立派でございます!」「今日も惚れ惚れいたします!」と臣下にほめられ、うわべだけのイエスマンに囲まれていた信長は、濃姫の忌憚ない突っ込みが内心嬉しかったのでしょう。

『レジェンド&バタフライ』を観ると、濃姫によって引き出された信長のかわいい面が見えてきて、好感度が高まってきます。信長を陰で支えるだけでなく、後世の人に対しても信長のイメージを上げるとは、濃姫はかなりのあげまんです。

信長を演じる木村拓哉は、「魔王」と呼ばれた信長について、テレビ番組で「優しいところもどうしようもないところもあるのが人間」「魔王にならなきゃいけない理由が彼にあった。それを全部ひっくるめて魔王でヒーロー」と語っていました。
魔王でヒーローで、天下統一を志した信長は、孤独でもありました。世界に目を向けても、歴史に名を残した王族は孤独で周りに信頼できる人が少なそうです。同じ残虐なカリスマでも、妻さえ信じられず、結婚・離婚を繰り返し、処刑したり幽閉したりしていたヘンリー8世と比べれば、信長は濃姫というソウルメイトのような伴侶がいて、かなり幸せだったと思われます。2人は普通の恋愛のような甘い関係ではなく、魂の同志的な絆だったのだと感じます。

でも、そんなクールな関係性だからこそ、時々ドキッとさせられるシーンが。父と兄が戦をはじめ、動揺した濃姫が「わらわの役目はのうなった」と絶望。自害すると言い出した時、「おぬしの役目はわしの妻じゃ!! 」と信長が叫ぶシーンにときめいた人は多いことでしょう。ぶっきらぼうな愛情表現にキュンとします。信長に対してつい強がってしまう濃姫もかわいいです。集落に迷い込んだ2人が民衆に襲われ「わしの妻に触んな~!!」と叫ぶ場面も。生死の危険で性欲が高まった2人は激しく求め合っていました。倦怠期とは無縁の夫婦です。

※ここから先には、本作の結末に関する内容が含まれております。

南蛮人の演奏で2人でダンスするシーンも、この多幸感がいつまでも続いてほしいと思わされました。織田信長は本能寺の変を生き延びて、ローマで枢機卿になったというトンデモ説が本当だったら良かったのに……と思いながら、目頭が熱くなります。しかしそのあとの展開は歴史に記された通りで、誰もが結末を知っているからこそ、幸せなひとときの儚さが胸に迫ります。タイトルの「レジェンド」は織田信長、「バタフライ」は「帰蝶」とも呼ばれた濃姫を表すそうですが、中国故事の「胡蝶の夢」という言葉も連想せずにはいられません。蝶になった夢のように、幸せな瞬間ははかなく消えていってしまいます。夢か現実かもわからない、という例えです。映画の終盤、厳しい状況に置かれた信長が見た夢こそ、実は現実なのかもしれない……そう思うと少し救いがあります。夢の中でも濃姫をケアしているところに、深い愛情を感じます。

濃姫の方も、憎まれ口を叩きながらも、常に信長のことを想っていました。「愚策!」「つまらん人生じゃったな」「こわい顔になったのう」などと挑発したり諌めるのも、愛情があってのこと。「われ人にあらず!第六天の魔王なり!」などと言い出した夫を見放さないところにも愛を感じます。
天下統一が夢だった信長ですが、天下よりも家庭の方が彼にとって大切な魂の居場所だったのでしょう。激しすぎる信長と濃姫のストーリーを観て、平凡な幸せの尊さに気付かされます。

イラスト・文/辛酸なめ子